創業91年の歴史を持つ東海建設。その半分近い45年を、会社とともに歩んできた二人の技術者がいます。

同期入社の服部俊明さんと浅野正二さんです。ポケベルと手書きの図面が当たり前だった時代から、スマホやドローンが活躍する現代まで、会社と名古屋の変遷を最前線で見つめてきました。

昭和55年、すべてはここから始まった

入社した昭和55年、同期は7人いました。

当時の会社は、今よりも若く、上司も30代後半から40代が中心の活気ある組織でした。今では名古屋市内の仕事がほぼ100%ですが、当時は大阪にも支社があり、本社の社員も東海地方の広い範囲で仕事をしていました。

浅野さんは静岡や奥美濃の現場も経験しました。知らない土地での仕事は、地元の方への説明や業者との調整もあり大変でしたが、今では良い思い出になっています。

印象に残る現場

服部さんにとって印象深いのは、船頭場公園築造工事です。

災害時の避難場所となる公園をつくるため、3年がかりで軟弱地盤を改良する大規模工事でした。大病から復帰したばかりの時期に担当することになり、厳しい局面もありました。

役所との信頼関係を築き、コスト削減につながる提案で利益を生み、地域の方々にも毎朝挨拶を欠かさず、工事期間中は苦情なく進めることができました。

新人時代から指導してきた伊藤さんが、土曜日に書類整理を手伝ってくれたことも大きな支えになりました。仲間と一丸となって大きな成果を出す、この仕事の醍醐味を実感した現場です。

浅野さんにとって大きかったのは、28歳のときに担当した丸田町の地下貯水池工事です。

地下30メートルまで掘り、何百立方メートルもの生コンを打つ、JVならではのスケールの大きな仕事でした。完成した貯水池は、東海豪雨の際に名古屋の街を水害から守る一助になったはずです。

名古屋の変化と家族への誇り

45年間で名古屋の街は大きく変わりました。

かつて田んぼが広がっていた地域が街になり、高層ビルも増えました。自分が手がけた護岸や橋を通るたびに、「ここは自分がやった」と思い出すことができます。

家族に現場を見せ、「お父さんがこれを造った」と伝えることもありました。

自分がやった仕事が地図に残り、多くの人の生活を支えている。それを家族に誇れることは、この仕事の大きな喜びです。

IT化と世代を超えたチームワーク

45年で仕事の進め方は大きく変わりました。

昔は書類も手書きでしたが、今はパソコンが当たり前です。最近ではネットカメラを設置し、役所の方が事務所から現場の状況をリアルタイムで確認できるようにもなっています。

新しい技術やツールは若手が使いこなし、ベテランは経験で培った勘所を伝える。アナログなダブルチェックとデジタルな効率化が、世代を超えたチームワークを生んでいます。

東海建設の変わらない芯

二人が語る東海建設の魅力は、人が良いことです。

基本的に優しい人が多く、社内の雰囲気が和やかで、風通しが良い。先輩にすぐ電話して、「前はどうやりましたか」と聞ける文化があります。

大きな組織では、縦割り意識から身近な社内の人に聞けないこともあります。東海建設では、誰もがオープンに情報を共有できます。

この聞きやすさ、教え合う文化が、45年経っても変わらない強みです。

未来の仲間へ

全国転勤がなく、地元・名古屋に腰を据えて働けることは大きな魅力です。

現場では、先を読む力が大切です。次に何をすべきか予測して動けると、仕事はスムーズになります。

最初は難しくても、わからないことは先輩に聞けばよい。東海建設には、後輩に聞かれたら教える文化があります。

先を読む力も含めて、先輩たちが責任を持って育てます。